“僕たちはファッションの力で世界を変える”を読んで

コペンハーゲンに住み始めたばかりの頃、Epoch Makersというデンマークに関わりのある興味深い人たちに、
インタビューをするメディアを運営する別府大河が、The Inoue Brothersの井上聡さんにインタビューをしに行くというので同行させてもらった。
そのときの記事はこちら?こちら。
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それまでThe Inoue Brothersの存在を知らなかったが、色々と情報を調べるとどうやらやばい活動をしている。
今までファッションというものに対して、漠然とあった疑問や問題について、
彼らは真正面から立ち向かって戦い続けている。その姿勢はまるで革命家と呼びたくなるほどだ。
最近発売された書籍、彼らが自分たちの生い立ちから活動内容、考えていることについて綴った、
“僕たちはファッションの力で世界を変える”??を一気に読み上げた。
インタビューに同行させて頂いた時や、インターネットからの情報で、それなりにどういった活動をしているかは理解しているつもりだったが、
本を読み終えて見ると、想像したよりも遥かに大きな物語で、さらに強いインパクトを残すと同時に、自分の立ち位置を考えざるを得なくなった。
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“どこかで、誰かが、苦しまなければいけないビジネスなんてもういらない”
彼らの活動はこの言葉に集約されている。
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今では数えきれないほどのファッションブランドが世の中には溢れかえっていて、
その中には一部の人にとって都合が良いように運営され、
その裏で働いている人たちがどういう状況に置かれ、

どうやって生地が作られて、売れ残った洋服の行方など、なんとなく知っているようで知らないふりをしている。

 

今では都会にも田舎にもファストファッションがある。
安いしどこででも買えるという理由で、簡単に手にすることができる。
そうやってそれらの会社に加担している。なんなら有難いとすら思っている。
この負のスパイラルをこのまま続ける方が、私達にとっては圧倒的に簡単かもしれない。
誰かが風向きを変えてくれない限り、自分ではどうしていいかわからないのが現状だ。
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ファッションや食だけに限らず全てにおいて同じでことで、どこの誰がどのようにして作った素材を、
どんな思いで働いている人たちの手によって形にされ、私達のもとへ届けられているか?
そのことを意識して選んだり選ばなかったりすることが、以前よりも重要で可能なこととして、意識するべき時代にさしかかってきたように思う。
もちろんこれを口にするのは簡単で、実際に生活の中で100%遂行するのは簡単ではない。人や環境によっては1%でも難しいかもしれない。
しかしこれらのことが問題視されている今、自分が選ぶモノを通して、どの考え方に属しているかを表明することに繋がっている。
ファッションで自分の”スタイル”を表現する、その”スタイル”の価値観が一歩先に進む必要がある気がしてならない。
彼らの活動はこれらの問題を、ゼロから、かなり遠回りな方法で、一歩一歩丁寧に向き合い正しい方へと動かして行っている。
だけどそれは本来人間があるべき生き方、働き方なんだと思えてならない。これからの人類が向かうべき指標になる物語だ。
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デンマークで生まれ育った井上兄弟の聡さんと清史さんは、デンマークが今ほど多様性や外国人に寛容ではなかった時代に幼少期を過ごし、
その環境でアイデンティティを培ったことで、もはや日本人やデンマーク人としてではなく、地球人としての使命を背負い生きて行く道を選んだ。
それはもちろん幸せに生きる為に、正しいことを選択し、人々を幸せにし、環境や社会に敬意を払う必要があるからだ。
そんな想いをベースに、ファッションの力で世界を変えるソーシャルビジネスを行っている。
響こそ現代的でかっこよく聞こえるが、実際にはとても泥臭くて原始的な人間味あふれた物語だ。
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現代に生きる私達は、日常の中に溢れかえっている悪を知らず知らずのうちに選び、
それらが放つエネルギーをキャッチし、知らず知らずのうちに、心に病が蓄積されていっているのかもしれない。
特に日本は本当に色んなことが便利で、全てのものが揃っていて、あっちからもこっちからも色んなものを勧められている。
それらを見て選んで消費することに常に忙しくて、表面的なことだけを見て、本質は見ず盲目になってしまうのも簡単だ。
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そんな環境の中で、自分の考えが善悪を理解する前に構築され、正しいかどうかもわからない情報や選択肢を提供され、
そこから適当に選ぶということに慣れてしまっている。
楽や便利というのはありがたいことで、その楽ちんな状況を苦労して変えてまで正義を選ぶには、相当な気合いが必要だ。
なのでもう知らないふりをすることを選ぶ。でもいつかはそんな間違ったシステムには終わりが来て、どこかで移行しなければいけなくなる。
今そんな時代の転換期の中で、自分が先陣切って舵を切ることはできないにしても、誰が舵を切る船に乗るかは少なくとも選ぶことができる。
それに、これは悪いことだ、とわかって選ぶ方が、まだ無意識に選んでいるよりはマシかもしれない。
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以下 “僕たちはファッションの力で世界を変える” より抜粋
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「幸いにも、民主主義国家に暮らす僕たちは、ほとんどの場面で “選ぶ” 自由がある。買い物一つとっても、
不適切な方法で作られたものを断固として拒否し、誠実な商品を選ぶのは僕たちに課せられた義務であり、責任だとも思う。
いわば毎日が” 選挙” なのだ。どの生産者やメーカー、店舗に票を投じるかは自分達の手に委ねられており、
そしてそれは社会の是正に繋がる大きな力になる。そのためには”本物”を見極める目を、意識して養う必要がある。」
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本当にそうだと思う。なんだか自分の中で怠け腐っていた一つの魂が、叩き起こされたような気持ちになった。
選挙に行って投票しないにしても、日々の生活に溢れかえった選挙に少しでも自分の考えを持ち投票することが、
本当に良い未来に繋がるのなら、それくらいの努力をする余裕は欲しいものだ。
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ついこないだ、コペンハーゲンの家の近所にある、よくお世話になっている自転車屋に行った時の話。
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そこのおっちゃんはいつも涙が出るほど優しい笑顔で出迎えてくれる。
その日は自転車のタイヤがパンクしたので修理をお願いした。
修理してくれている間に、そのおっちゃんと色々と話をした。
そういえばおっちゃんの名前を知らないが、おっちゃんと呼び続けるのは悪いので、ここではアシュラフと呼ぶことにする。
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アシュラフはアフガニスタン出身で、2001年のアフガニスタン戦争で、
その状況に身を置き続けることができなくなり、コペンハーゲンに移住してきたという。
家族や親戚はどうなってしまったかわからない状況で、アフガニスタンに帰ることはそれ以降一度もなかったそう。
戦争中に見た、目の前で無残に死んでいく人達や、その時に感じた気持ちを今でも鮮明に覚えていて、
今もそれを抱えて生きてる、という感じがひしひしと伝わってきた。
その戦争の状況を少し話してくれたんだけど、目の前にいるまだそんなに年老いていない男性が、本当にそんな戦争の渦中にいたなんて信じられない。
でもこの優しさと笑顔と愛情は、その経験がベースになっていると思うと、いたたまれなくなった。
なんか自分が軽薄な人間とすら思えて来て、その場にいるのも恥ずかしくなった。
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アシュラフはどういうわけか日本についての知識もよく知っていて、日本人女性としてぬるま湯に生きる自分に喝を入れてくれた。
” 日本人は民主主義の元で生きているのに、それをどういうことか全く理解も意識もしていない。
女性と男性の間にも差がある。しかし女性はそれを自ら選んでいるんだ。男性と対等じゃない、ということを。
民主主義というのは一人一人が考えを持ち、それを表現することだ。
デンマークがすごいいい国だって思ってるかもしれないけど、まだまだおかしな奴はたくさんいる。
大抵の場合その人の目を見ればだいたいわかる。何を表現しているか、そこから感じとれる。
目で表現してしまっているんだ。自分がどう言う考えを持っているかを。民主主義とはそういうことだ。”
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それまで溢れるような笑みだったアシュラフは、自転車の修理をせっせとしながら真剣な眼差しで話してくれた。
アシュラフの言葉はとても重くて、人間愛に満ち溢れていた。
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常に変化していく時代の中で、それぞれの環境やジェネレーションによって、考え方も生き方も全然違う。それは自然なことで。
どれが良いか悪いかを咎めあっても仕方ない。若い人たちは先に生きた者の良いところは吸収して、悪いところは反面教師にできる。
本当に色んな選択肢がある。どれが正しいか間違っているかは、人それぞれの考え方があるし、どれを選ぶのも自由だと思う。
そうやって自分が何者かということを知り、意識するということが、大きな一歩に繋がるのなら、
それが若いうちにするべき最初の課題なのかもしれないし、大人になってからでも、いつでも新調できる柔軟さを持ち続けたい。
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