過酷な冬から生まれたデンマークの文化

初めてデンマークの冬を越した。
 
暗くて長い冬だと聞いていたので、そんな季節なんだったら他の場所に避難しちゃいたい!と思うところ、やはり北欧の冬は一度は経験してみたかった。

11月頃から急に寒くなって、寒いだけならまだしも、日照時間が短い上に、太陽が全然出ない。

年越しもコペンハーゲンで、と思っていたけど寒さと暗さが手伝って、家族や友達に会いたい気持ちがいつも以上に高まり、断念して東京で過ごした。

コペンハーゲンにいる人たちは、その寒さや暗さに慣れているので、ビタミンDのサプリは欠かさず、”Hygge(hoo gah)”の精神でどうにか冬を乗り越えていく。

みんな遊びに出かけたりする頻度も減るのかなぁ?と思いきや、全くそんなことはなく、レストランやバーには変わらず人で賑わっていた。

この長い冬こそが、北欧の家具や建築、食器やインテリアのセンスを高めるきっかけとなったんだろうなぁ、と納得した。

Hyggeという言葉も、この暗くて長い冬から生まれたのかもしれない。

 

Hygge という言葉について説明するのは難しい。かなり広い意味で使われているし、感覚的なことを指している。

デンマークで生まれ育った人に聞いても、いまいち一言で説明するのは難しそう。だからこそソレをHyggeと呼ぶことにしたのかなって。

こないだ楽しかったね!の代わりに、こないだはHygge だったね!とか、それHyggeだねー、とか、Hyggeしよー!とか、口癖のような感じでもある。

トラディショナルなHyggeなハウスパーティーといえば、家で手料理を作ったり自家製のパンやケーキを焼いたりして、気心知れた友人を招きみんなで食卓を囲む。

みんな気を張らず、互いを家族のように受け入れあう。暖かい空気感をシェアすることに重きが置かれる。

そこにはみんな仕事上の立場は持ち込まず、言葉にするならば、“まだ自分が何者かになる前の自分”でいられるような感覚。みんな対等であり、上下関係や利害関係もない。

暖かい季節になれば、それが公園や川辺でピクニックをしたり、野外アクティビティに変わる。

Hyggeとはただただリラックスした普通の日常や、自然に触れる時間を意識して創りだし、そこに幸せを見出すという生活の知恵のようなものだ。

このリラックスした状態を作ることと、レストランではなく家でケーキを焼いたり手料理を作ることは密接に関係しているようだ。

そして必ずと言っていいほど、ロウソクに火が灯されている。

外を歩いていれば、どこの家庭からも茶色い光が漏れている。照明のデザインだけでなく、明かりの色や明暗の度までこだわっている。見ているだけで暖かい気持ちになった。

 

暗くて長い冬の間、太陽を見ない日が何日も続き、自分の気持ちもどんどん天候に比例していった。

冬に東京に帰ると、寒いけど太陽が出ていて日も充分に長く、それだけでとても幸せだと思えた。毎日曇りというのは本当に気持ちが暗くなる。

普段だったら簡単に乗り越えられていたことも、重く感じてくる。実際に北欧では鬱になる人も多いようだ。

そんな天候の中で、友人と会って話をした時、今まで感じたことのないような感動を味わった。恋に落ちたわけではない。

その寒さと暗さの中で、人の有り難みが意識化されたのだ。

言い換えれば、毎日曇りがベースにある中で、久々に太陽が顔をのぞかせると、犬が ” 散歩につれてけ!”

と言わんばかりに窓の外を見て尻尾を振る勢いで、太陽に飛びつきたくなる程感動した。

冬が長く暗いだけあって、太陽の有り難みや、夏の有り難みが半端ない。そのコントラストの幅が広ければ広いほど感動は増し、感謝の気持ちが自然に湧いてきた。

 

デンマークの有名な童話作家、アンデルセンの書いた物語で、マッチ売りの少女という物語がある。

その物語の中でマッチ売りの少女は、雪が積もる中マッチを売ってお金を稼いで来いと父親から強いられ、

世間はクリスマスシーズンを楽しんでいる最中、寒空の下ひとりマッチを売り続ける。

通りがかった家を窓から覗くと、暖炉や素敵な家具のある部屋で、可愛い洋服に身を包まれた子供達が、家族でわいわいと楽しんでいる光景が少女の目を釘付けにした。

その様子を羨ましく思った少女は、自分の身も心も暖めようとマッチを擦って火をつけた。その火の美しさにうっとりしながら、火の向こう側に幻想を見始める。

暖かい暖炉の前で可愛い洋服に身を包まれて素敵な絨毯の上に座っている自分の姿や、大きな食卓に飾られた素敵な食器や美味しそうな料理達、

豪華なクリスマスツリーにたくさんのロウソク。マッチを擦る度にそんな幻想を浮かび上がらせた。

まるでその少女の姿は、北欧の暗くて長い冬の時期にみんなが感じる孤独感を表し、マッチに火をつけることでそこに見えてくる少女の幻想や、羨ましく見えた家族の様子は、

Hyggeの感覚に置き換えられるかもしれない。実際にHyggeのハイシーズンはクリスマス。その頃からみんな長期休暇に入り、生活のペースを落としHyggeな時間に専念する。

Hyggeはそんな過酷な冬を乗り越えるための、知恵や武器のようなことでもあるのだ。

そんなHyggeの感覚を、マッチ売りの少女では意図的なのか自然になのか、比喩されているように思えた。

 

デンマークでは通常、仕事を5時くらいに終え、土日はもちろんのこと夏休みと冬休み、イースターホリデーもしっかり休み有給は100%消化するそうだ。

週の法定労働時間は37時間、実際の平均労働時間は33時間。残業している話は、何かをデンマークに挑戦しに来ている人を除いてはほとんど聞かない。

平均収入も500万円以上と、世界で2番目の生産性の高さを誇っている。みんな早く仕事を終わらせて帰るために、短時間の間に効率よく仕事をこなすそうだ。

また収入と支出のマネージメントがうまく、ここは必要ないからぐんと削ってこっちに使おう、という具合に、もっと働いて稼ごうという選択肢に至らないのだとか。

かといってステップアップに興味がないわけではない。

仕事以外の時間が充実することで、新たなアイディアや意欲が湧いてくるということを明確に理解しているため、ワークライフバランスをとても重要視しているのだ。

仕事のスタンスも、労働に対して対価が支払われるというよりは、アイディアに対して対価が支払われるのでみんな自発的に仕事をする。

お金や出世のために働くというよりは、好きだからやる、という感覚が自然に身についている。仕事から得る経験も彼らの人生を豊かにする大事な要素なのだ。

その精神的なゆとりを支えている背景には、社会福祉がしっかりしていることがあげられる。

出産費、医療費、大学院まで学費無料、親と離れて暮らすと大学に通う間毎月9万円程国から支給される。

そのため焦って社会にでる必要がなく、30歳くらいまで勉強する人も多い。また失業したら4年間失業前の90%が支給されるらしい。

バイト代や初任給も高めなので、最初から最後までお金の心配が限りなく少ない状況だ。この状況が貧富の差には関係なく、平等に与えられている。

日本は中国ほど家庭の状況に子供の出世が左右されることはないかもしれないが、多くの人が仕事のために生き、消費するために稼ぐルーティーンの中にいる。

忙しい日々の中では正しい消費について考える余裕もなくなり、そういう人達に向けて利便性を重視したアイディアがどんどん増えていく。

ファストファッションにコンビニやアマゾン、24時間営業の飲食店など、欲を簡単に満たせる仕組みで溢れかえっている。

それらは仕事に終われた生活を送る国民性から生み出された産物だ。

そういった利便性に基づいた消費は二酸化炭素排出量などの公害にも比例してくる。

“欲が簡単に満たせる” ということは一見楽でいいことのように思えるが、大抵の場合はおかしなビジネスであることが大半だ。

そのおかしなビジネスの歯車に乗っかって生活をすることは、どれだけ人間らしさを失ってしまうことに繋がるか。。

さらにおかしなビジネスの会社で働いてしまった末には、もはや心を失いAIになってしまったのと同然と言えるのではないか。

この負のスパイラルから抜け出すには新しい生き方や、人や環境に配慮した政治やビジネスの在り方を再構築するしかないのだろう。

 

Hyggeの精神は “人間らしさ”に満ち溢れている。

一年のおよそ半分が冬で、そのうちの数ヶ月は本当に過酷な冬。夏は過ごしやすいけど最高気温は23度くらいと低めで、決して羨ましむ環境でも無い。

そんな中、幸福度ランキングでは常に上位。”幸せ”というものをクリエイトし続けているデンマークの歴史を知ることで、そこから学べることがまだまだたくさんありそう。

環境やバックグラウンドは違えど、発想の転換をして、身の回りに転がっている幸せを自発的に見つけだし、そこに少しの色付けをするだけで人生がどれだけ豊かになるか。

いつか近い将来幸せになることや、何かがもっとあればと期待して生きるのではなく、

今もうすでにある幸せをどうクリエイティブに楽しめるかで、人生の豊かさが変わってくるのだ。

便利で恵まれた文明社会の波に溺れている現代人にとって、Hyggeの精神は苦境をも乗り越えられる、最も贅沢なアイテムになり得る可能性を秘めているかもしれない。

 

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